ZAP SPEED RACING TEAM





VOL.26:山口明選手が結婚した

先日山口明選手が結婚した。
ZAP SPEED初の筑波タイトルを獲得した=1997筑波FJ選手権シリーズチャンピオンの彼はその後、 F-4スカラシップを得てF-4に参戦すると同時に、当時まだZAP SPEEDが手がけていなかった フォーミュラTOYOTAにコックピット館林さんのカラーで、D.T.Mさんから参戦。 奇しくもこの後、ZAP SPEEDもフォーミュラトヨタに参戦する事となり、所属ドライバーながら同じレースで戦う事となった。その後、NOW MOTERSPORTさんからF-3に参戦し、翌年の小暮卓史選手のF-3ステップアップに影響をもたらした。現在はトヨタのインストラクターをしている。

彼で思い出すのは、当時のZAP SPEEDは設立後間もなく、そのころは型遅れのマシンしかチームで所有していなかったが、当時の5年落ちのマシンというのは、次々に性能が向上したNEWモデルが出ていた頃なので、大きなハンディだった。しかし、彼はその型落ちマシンで善戦していた。内間監督は彼の走りと頑張りに答えようとして、お金を賭けずに何とかマシンのポテンシャルを上げようと腐心した。そのマシンオリジナルのプルロッドのたわみがリバンプに影響しているのでは無いか?と仮説を立てて、プッシュロッド式のマシンのパーツを流用して、プルロッドのたわみを無くした。セオリーに反した極太プルロッドのマシンである。プルロッド式の長所は空力面であるが、筑波サーキットのFJでは空力よりもロードホールディングの方が重要だからと、本来プルロッド方式の長所の部分をばっさりと切り捨てたのだからビックリした。

そして、この改良が見事にあたり後半2レースを連勝し翌年に繋ぐ事が出来、翌年はチームも新型マシンを購入。周りのみんなと同じ道具を与えてあげることが出来た。そして、その年山口選手は筑波FJ選手権シリーズチャンピオンを獲得。F-4スカラシップを獲得し、その後のF-3へと続いて行った。

読んでお分かりの通り、チーム設立の頃のドライバー達は何の実績も無いZAP SPEED の情熱だけを信じて集まってくれ、私たちも車で寝泊まりをしたりしてドライバーと供にトップチームを目指して来た。

彼の晴れやかな日に、大変だったけど充実した日々を思い出した一日だった。



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□■ 笹川健志 □■
マネージメントディレクター。チーム運営に手腕を振るう。自分がレースするはずだったのが、いつの間にかレースを目指す若い連中の面倒を見る事に…。内間監督と供に「一蓮托生」理想のチーム創りを目指します。 理想のチーム作りと言うのは皆さんの理想をかなえること。「自分達の時代にもあったら良かったのに!」っていうチームを創る事。 チームが徐々に理想に近づいてゆくのが生き甲斐です。







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